生きづらさの考察
認知革命
ホモ・サピエンスがホモ属の中で生き残った大きな理由は認知革命だとされる。認知革命とは、言語を操るだけでなく、言語を通じて虚構(フィクション)を共有することができるよになったことである。
認知革命によって生まれた虚構として代表的なものに貨幣、国家、宗教がある。
宗教の1つとして代表的なものに仏教がある。仏教は我執を苦の原因として、その克服を目指した宗教である。
仏教は十二支縁起を例にとれば、無明を苦の根源として、最終的に老死に至るとされる。(十二支縁起は原始仏教からあった思想)
無明は仏教の各宗派の中で以下のように捉えられていた。
『無明』
不二一元論学派 | 誤った認識の中でも、自己の本質であるアートマンをアートマン以外のものと誤認してしまう |
大乗起信論 | 根源的無知。一切の汚れた諸現象を生む大もと。一切の汚れた諸現象は、まよいの相である |
不二一元論学派では、誤った認識として考えられ、大乗起信論では、全ての汚れを生む原因であると考えられている。
そして、無明とは西欧哲学の文脈ではショーペンハウアーが「意志」と名付け、ニーチェが「力への意志」と呼んだ。
この世界の目に見えない部分に私たちの苦を生む何かが潜んでいるのである。
現代
現代において、苦とは一般に「生きづらさ」という言葉で呼ばれている。生きづらさとは、不安であり、孤独である。
生きづらさを解消する手段としては現実逃避がある。
現実逃避の手段としては、①虚構に逃げる方法と②中枢神経を麻痺させる方法の2つの手段がある。
虚構とはフィクションだ。宗教もフィクションだし、漫画や映画もフィクションだ。物語や神話は私たちの目を一次的に現実から反らす時間を与える。
中枢神経を麻痺させるには、中枢神経作用薬が効果的だ。作用薬には、抑制薬と興奮薬、幻覚薬の3つがある。
図1
作用薬は苦労なくして脳に快感を与える。これがドラッグの恐ろしさである。歯止めがなければ、ドラッグを浴びるように摂取するようになり、気づいたときにはそのループから逃れられなくなっている。
カール・マルクスは「宗教は民衆のアヘンである」と言ったが、それはある意味正しいのかもしれない。なぜなら、いずれも現実から逃避する手段としては最適だからだ。マルクス・ガブリエルは「科学は民衆のアヘンである」と言ったが、それは私の考える意味からすれば間違っている。なぜなら、科学は私たちを現実から逃避させることは愚か、現実に縛りつけるからだ。
依存症
依存症とは、不安の病であり、孤立を原因とした病である。本質的に人に依存することができない人間がなる病気である。彼らは人に頼ることができないために、つかの間の刺激に依存をしたのである。
依存症の対象には目に見える効果が出るものが多い。過食であれば体重は痩せるし、自傷行為であれば体に傷がつく。しかし、何が正常かの判断能力が低下しているため、それが過度なものとなり、危険の縁に瀕することもある。
薬物は人類の歴史において神聖なものとしてまず登場した。昔は「ヒロポン」と呼ばれ、医薬品や嗜好品として使われていた。民衆においては眠気覚ましにも使われていたようだ。今日におけるエナジードリンクみたいなものだろう。しかし、その結末といえば、法によって厳しく取り締まられているのだ。このお話を聞くと、エナジードリンクのようなも未来の常識では危険物として扱われるのかもしれないと思いを馳せてしまう。
どのような未来を作っていくべきか。
薬物依存症から回復しやすい社会とは何か。それは「薬物がやめられない」と発言しても、辱められることも、コミュニティから排除されることもない社会だという。本では、メディアのコメンテーターが非力な当事者を責めていたことを問題して取り上げ、嘆いていた。
私は常々ビジョンの1つに「誰も責められない社会」というものを構想している。「責める」とは、非難したり咎めたりして苦しめることである。誰から責められないのかといえば、他人から責められないことはもちろん、自分から責められないことも含む。
薬物依存症の文脈に即して言えば、「薬物がやめられない」という弱音を安心して吐ける場所を作っていくということである。道徳や秩序に反するから責められるというのは、過ちを許容しない世界であり、過ちを犯すことが認められないのであれば、人はどんどん恐怖に支配されていく。それは社会の安定にはつながるかもしれないが、個人を縮小させていく側面もある。
大事なのは仕組みづくりだと思う。「なぜ責められるのか」という問いを深堀りしてみたところ、1つの仮説としては、幼少期からの環境が良くなくて、認知が歪んでしまっているからという答えが出た。そのような意味では健全な保育や学校教育というものが一定の意義を成すのだろうと思う。
薬物依存症に関する本では、生きづらさを「正解を押し付けられ続けた結果、居場所が見つからないこと、依存先を増やせないこと」と定義していた。この定義に基づけば、生きづらさの解消方法は2点ある。
①正解を押し付けない環境づくり
これは「薬物がやめられない」と発言しても排除されない社会・環境と同義だと考えてよいだろう。間違いをして仮に秩序から外れても「誰も責められない社会」のことだ。
②居場所を作る・依存先を増やす
本人に選択肢があるに越したことはないが、本人の責任に委ねられるだけでは良くない。価値観ベースで人がつながり、居場所が自然と生まれる社会作りができると良いと思う。